青柳蓮の読みたくなる小説!

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椿の花の秘密

    椿の花の秘密
 庭の椿の木に花が咲く時期になると必ず、お母さんとの二人だけの秘密を思い出して、遠い昔を懐かしんでしまいます。
それは僕が小学校の三年生の頃、いつも学校から家に帰ると必ず、お母さんの下へ行き、楽しみにしながらおやつをねだる事が日課になっていたある日の事「ただいまーお母さん今日のおやつはな―に」と何時もの様に聞くと「ごめん、今日は市場へ買いものに行く暇が無くて何も無いんだよ」と申し訳なさそうにお母さんは言った。
それを聞いた僕は「えぇーないの・・・・・・」というと踵を返し俯き加減で肩を落として自分の部屋へもどると、お母さんはそんな僕を見て庭に呼び出すと「隆志、椿の花を摘んで、ここを吸ってごらん」といって手本を見せてくれましたね。
それを見た僕はなんだろうと不思議な気持ちでお母さんのいう通りに摘んだ椿の花の根元を口に運び吸ってみました。
「うーん、甘い」と自然に自分の顔が笑顔で一杯になった事を今でも忘れる事が出来ません。
そしてあの時僕は、あまりの蜜の美味しさに「お母さん、もう一つ吸ってもイイイ」とあまえてねだる様に聞いたのを思い出します。
その時お母さんは言いましたね。
「もう一つだけだよ。それからこの事は二人だけの秘密だよ。お花が無くなっちゃうからね」とニッコリ笑って僕の頭を優しく撫でてくれました。
僕はお母さんにそう言われて人差し指を口に宛てて「秘密だね!」と小さな声で笑顔を堪える様に応えた事を覚えています。
あれからもう何十年経ったでしょう。
お母さんは既に遠い処へ逝ってしまい、もうあの時の様に話す事はなくなりました。
僕の頭も何時の間にか白くなり顔中皺だらけになってしまいました。
それでも庭に椿の花が咲きだすと僕は頬を緩ませ、人差し指を口に宛て「秘密だね!」と呟いてしまいます。
お母さん。「ありがとう・・・・・・」

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  1. 2017/03/04(土) 13:57:36|
  2. 小説
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デパート恋物語

      デパート恋物語

「おはようございます。今週末、2日間、御世話になります沖田です。宜しくお願いします」
「あっ、こちらこそ――、よろしく……、店長の徳田です……」
俺は千葉の三恋百貨店に出店している、中華惣菜店で店長を任されている。
まぁ店長と言っても社員は俺一人、後はパートのおばちゃん二人で廻す、六尺売台二本の小さな店だ。
その店のパートの一人の大竹さんが、先月ご主人の転勤の関係で辞めた為、ここ三週間ばかり、マネキン会社に応援を頼んで週末だけ手伝って貰っていたのであった。
しかし日当が高いわりに、仕事の出来はサッパリなマネキンばかりで、パートの牧さんは最近ウンザリとした顔を、俺に向けて来るのである。
「店長、ここのマネキン会社代えたら、まともに仕事のできる奴が来た例しがないじゃない。挙げ句の果てには、結局全部こっちでやらなきゃいけなくなっちゃってさぁ……、人件費の無駄!」
「そうだなぁ、俺もここまで酷いとは思わなかったよ。しかも、とっかえ、ひっかえ、毎回、違う人間よこしやがってぇ、お陰でこっちは新しい奴が来るたびに、毎回同じ事教えなきゃならないし、二度手間三度手間もイイとこだよな!」
「そうだよぉ~、家の店がなんで使えないマネキン会社に貢がなきゃいけないのよぉ。どうせ店長の事だから、係長にここのマネキン会社試しに使ってやってくれ、なんて頼まれたんだろう?そんでもって断り切れなかったんでしょう……」
「まぁ、そんな処だよ……」と答えると牧さんは、げんなりとした顔で溜息を一つ吐き、俺に背を向けた。
まぁ何処の百貨店でもよくある話だが、俗に言う袖の下を使って入り込んで来る業者で、フロアーの課長、係長を通して各店舗に口を訊いてもらい流れ込んで来るのだが、これが普通に働いてくれればいいのだが、なかなかその普通って人が、今の世の中にはいない。
スポットでしか入らない事をいい事に、客と揉めたり、ボーっと突っ立ったまんまで、挨拶一つ出来なかったり、少しましだなぁと思うと、店の商品に手を付ける者や、酷い奴は売上を抜く奴もいる。
そうなると厄介で、毎日最後の集計が合わなくなり、中央レジが閉められず大目玉を食う羽目になる。
まぁ百貨店なんて処は、店の数以上に多くの人間が出入りする処だから、その分色んな人間の人となりを目にする事になる。
毎日売り上げ目標と戦いながらも、守銭奴の様に売上に目を光らせ、余計な気を揉みながら一日を終える。すると職場を離れ、フッと我に帰った時に、自分が人間不信に陥っている事に気付く。
俺は本意ではないが、今回は係長から紹介された派遣会社を断ろうかと思っていた。
だが、今日に限って、まるで神様が俺の心の中を見透かしていたかのように、何時もとは全く違う別人がやって来た。
俺は余りにも予想とは違う女性を前に、ボーっと突っ立ったまま、鳩が豆鉄砲でも食らったかの様な表情で、どもりながらどうにか挨拶をしたのだった。
一見、清楚で物静か、清潔感漂い、いかにも私、成績優秀でした。というオーラが溢れ出ている女性で、今まで派遣されて来た、間の抜けた感じのギャル、という雰囲気では決してない。
彼女は俺を見ながらエプロンを頭からかぶり、三角巾を頭に巻くと、自分を見ている俺に首を傾げるしぐさをして次の言葉を待っている様だった。
俺は、何時も牧さんに頼んでマネキンに作業内容を教えてもらうのだが、今回は久しぶりに自ら、その役目をかって出た。
売台横で惣菜のパック詰めを作る牧さんが、また悪い癖が始まった。と言わんばかりの表情で様子を伺っている。
そんな事は一切、御構い無しに俺は、親切丁寧に作業説明を続ける。
実は俺、昔から学歴コンプレックスを持っていて、大学卒で、お嬢様風、賢そうな女性にめっぽう弱い、と言うよりもタイプ、と言った方が正しいだろう。
そして直ぐに仕事が終わった後、食事に誘うお調子者、軽い奴、大の女好き、と全てに当てはまる俗に言う女誑しである。
早速俺は、彼女のプライベートを質問しまくったが、彼女は澄ました顔で俺の話しを聞くと、嫌な顔一つせず、質問に答えてくれた。
富山県出身で神戸外語大を卒業後、地元の銀行に就職したが銀行マンが肌に合わず退職したそうだが、その後就職する事無く、パートの様な仕事を掛け持ちしながら転々としいたが、ここ半年位はマネキンをやりながら、家庭教師を日に二時間余り、週五日教えながら生計を立てているそうだ。
それゆえに彼女は仕事慣れというか、呑み込みが早いというか、とにかく今迄のマネキンとは頭の出来も違うようで、教えた仕事は一発で覚え、直ぐに手際よくこなしてくれた。これには牧さんも驚き「店長この人凄いね、いるんだねぇこんな人がマネキン会社にも、家で働いてくれたらどれだけ楽かぁ。ウ~ン、イイなぁ~」
「…………」
そうとう牧さんはお気に入りの様子だ、もしくは相当疲れているかだろう。返す言葉の見つからない俺にも、しみじみと想いが伝わって来た。そして、今し方までこの女誑しがという目で見ていたのに、「店長、今晩仕事が終わってから、彼女を食事に誘いなよ。そんでもってさぁ、マネキンなんか辞めて家の店で働いてくれって、お願いしなよ。言いずらかったら私も一緒に行って頼んであげるからさぁ、ねっ!」と真面目に訴えて来る。
 どうやら牧さんには、店のパート作業を一人でこなす事が相当キツイようだ。そうなると俺は、態々食事に誘ってまでお願いする程の事でもないような気がしてきて、気乗りがしないのである。
「う~ん、どうしたもんかなぁ」
「どうしたもんかなぁじゃなくてぇ、何時もの調子でいっちゃいなよ。だけどやった後、直ぐにポイしちゃ駄目だよ。ちゃんと上手に言って店を手伝って貰わないと――」
そんな話を聞いた俺は、なんで俺がこの婆さんの誘いに乗ってホイホイと言い成りになり、店の手伝いに来たマネキンに手を着けなきゃいけないんだ、ダメだった時の気まずさを想うと、余計に彼女への俺の気持ちは冷めていった。
「あっ、みんなお疲れちゃ~ン、さぁ沖田さん行こうかぁ」と隣近所の店の店員さん達に挨拶すると、「店長も早く着換えて、通用門前に集合ね。それからお金下ろして来ただろうね。気前よく今日はパッと飲み代の方は払ってよ。こんな美人が一緒なんだからねぇ」
彼女はそんな牧さんの隣で愛想笑いを浮かべている。牧さんだけは間違いなく行く気満々で意気込みの程がこんこんと伝わって来た。

(困ったもんだなぁ牧さんにも、しかしどうしたもんかなぁ……)
俺の気持ちはどっちにしようか迷っていたが、こうなったら行くだけいってみようと思い、居酒屋恋模様の暖簾をくぐり席に着くと、ノリノリの牧さんと、少し縁了気味の彼女と三人で生ビールで先ずは乾杯した。仕事の後の喉の渇きを取るのには、生ビールが一番で、いっきに生ビールを飲み干した。
その後、俺の大好きなレモンサワーを飲む頃には、気分よく牧さんの思惑にのっかっていた。
牧さんの強いプッシュもあり、彼女も一先ずは、家の店でバイトしてほしいという願い事を快く了解してくれた。
その後牧さんは、彼女にはいい返事がもらえたという事で、ニコニコしながら座敷に敷かれた座布団の上に、ちょこんと座って、手酌で冷酒をやり始めるのであった。
俺達三人は心地よい程に飲み上げ、十一時頃にはイイ気分で店を出た。イイ気分の牧さんは、首がゆらゆらと揺れ、体中を冷酒の酔いが覆い、いい塩梅になっている。
俺も結構酔いもまわり、気分良く二人にそろそろ帰ろうか、と言いながら、三人横並びになり歩き始めた。すると牧さんが一瞬、横目で俺を見た様な、見てない様な素振の後、何時もは電車で帰るのに「私は最終の市バスで帰るからさぁ、後は二人でごゆっくり……クッ――、お疲れちゃ~ン」と言ってなにか良い事でも有ったかのように薄ら笑いを浮かべ、一人ウキウキしながら、人気の少なくなった大通りをスキップの様な小走りで帰っていった。
残された俺達二人は、牧さんの余りにも露骨に言った「後は二人でごゆっくり……、クッ――」の一言に呆気に取られてしまい、ポカ~ンと口を開けたまま、牧さんの後ろ姿を目で追いながら立ち尽くした。
フッと我に返った俺達は、お陰で心落ち着かず、互によそよそしい雰囲気で「それじゃ~ぁ、また明日……」
「…………」と、別れ帰ってしまった。
翌日、開店一時間前に出勤してきた牧さんは俺に体を擦り寄せる様にして、ニタニタと笑みを浮かべながら「おはようさん……」と挨拶をしてきた。
牧さんの顔には、あの後の事を聞かせろと書いてあるが、俺は気付かぬふりで「おはよう」とひと言だけ返した。
その俺の様子に牧さんは、口を尖らせ、流し眼で俺を見ながら踵を返した。その姿に申し訳ない気もしたが、特に何があった訳でもなく、変な想像をされるのが嫌で、素っ気の無い態度をとったのだが、流石に牧さんには何も無くても話さなくてはなぁ、という気持ちが湧いてきた。
となると彼女が来る前に話して置くべきだと思い。売台を拭き終った牧さんに厨房の中から手招きした。
すると牧さんは一瞬動きを止めると、俺を見詰め返し、零れんばかりの笑顔を浮かべながら、俺の横へとやって来て「それでぇ、どうだったの?」とまるで宝くじの当たり外れを聞くかの如く、嬉しそうに耳を澄ませたが、ありのままを話すとフーっと、深い溜息を一つ吐き、何も言わず朝の作業を始めだした。
その姿を見た俺は、還暦を目の前にしたおばちゃんには、どうでもいい人の恋路も楽しみの一つなんだなぁと感じ、余程ドラマの様なワクワクする様な展開を、期待していたのだなぁ、と思うと、何故か子供の頃テストで百点を取って、母親を喜ばしてやろうという様な気持になり、今度こそは牧さんの為に一つ、頑張ってやらなくては、という想いが湧いてくるのだった。

そして開店一時間前になり、彼女が出勤して来た。店は開店前の最後の追い込みに掛かり、何処の店にも忙しく動き回る売り子さん達が、忙しそうに自分の売り場を整えていた。
それもその筈、今日は月に一度の大売り出しの日曜日で、大チラシが入る為、開店と同時に、お客様が雪崩のようにながれ込み、来店する事は判っているからである。
売台の中には出来たての中華惣菜が並び、ガラスケースの上には、特売品のパック詰めが山の様に重ねられ、牧さんの気合の入り方も何時もとはまるで違い、隣近所の店に遅れを取ってはならないと躍起になっている。
そして開店、「いらっしゃいませ」と至る所から聞こえだすと、ウチの店先にもお客様が列をなした。
今日のウチの目玉商品は当店一押しのプチ豚饅で、神戸の中華街では押すな押すなで買い求める大人気商品である。
通常一個百円が、二割引きの八十円となっている為、売れるは売れる、あっという間に蒸し機の中は空っぽで、蒸すのが間に合わなくなり、列がドンドン延びていった。それを見て待ちくたびれたお客達は、しょうがなしにチルド状態のモノを買い求めて帰って行く始末だった。
「店長、ヤバいよ。もうチルドの方も無くなっちゃうよ」
「えぇ、マジかよぉ……」
それでもチルドのパック詰めも昼前には売り切れてしまった。
そこへたまたま通り掛かった食品部長がそれを見て「欠品は駄目ですよ」と注意を受ける始末だったが、無い袖は振れぬで、どうする事も出来ない。
その後も口八丁、手八丁で他の商品を売りさばいていた牧さんも、昼を廻り流石に疲れたとみえ、午後一時半を回った処で「牧さん、喜座衛門へいくかい?」と声を掛けると、返事を返すでもなく、無言のままに頷くと、一人手さげを掴み、重い体を引き摺る様にして去ろうとする。それを呼び止め、こんな事になるだろうと思い、開店前に作っておいたまかない用のチキン竜田丼を二つ手渡し、「冷めていても美味しいから、二人一緒に休憩どうぞ!」というと、牧さんの表情は一変し、茶目っ気いっぱいの笑顔に戻り「だから店長って大好き!」と一言いうと、彼女を引き連れると、二人仲良く休憩へとスタスタ行ってしまった。
俺は客足の落ち着いた店の番をしながら、夕方の特売セットの準備に取り掛かった。
そこへ中央レジの小坂さんが今日の売り上げの途中経過を届けてくれた。
「今日は流石に何処もいいみたいだよ。店長の処も何時もの三倍だもんね。今日は打ち上げ行くの?行くなら連れててね・・・・・・」とうっとりとした微笑みを向けると、
「じゃぁね……」と微笑みながら行ってしまった。
実は小坂さんとは、何度となく仕事帰りに飲みに行く仲で、お互いに後腐れの無い男女の仲を望む者同士、割りきった付き合いをしているのであった。
この事は牧さんには言っていないが、気付いているかもしれない。そうこうしてる中に牧さんと彼女が休憩から帰って来た。
「御先でした。美味しかったァ、甘酢のタレがイイのよねぇ、最高!また作ってねぇ」と何時も嘘でもそう言ってくれる牧さんは、江戸っ子で少し口は悪いが、気遣いの人である。疲れ果てていた彼女も、息を吹き返し、ニコニコと笑顔を取り戻している。
「いきなり忙しくなって驚いただろう。平常はこんな事無いんだけど、月に一度だけ全店が特売掛けるからさぁ、大丈夫? 」
「ええ、大丈夫です」
「それから今夜暇ある? 打ち上げやろうかと思ってるんだけど・・・・・・」
「あら!私は誘ってくれないの、2日でも三日でも連チャンOKよぉ」と牧さんがいうと、牧さんに目をやった彼女もニッコリ笑って「OKですよ、私も!」と答えてくれた。
その清々しい彼女に心引かれながら、一言言い訳をした。
「別に毎日こうして飲んでばかりいる訳じゃないからね。誤解しないでくれよ!」といって彼女に目をやると、何故だか隣に居た牧さんが、俺の肩を叩き「いやぁねぇ店長、そんな事態々言わなくても判ってるわよぉ、何時も一緒なんだからさぁ」と機嫌よく会話に交じって来る牧さんを見て俺は、(アンタに言ったんじゃないんだけど……、判ってないよ)と思ったが言うのは止めて軽く睨んだが、勿論、牧さんは気付いていない様だった。
ちなみに彼女は牧さんの隣で、頬を緩ませながら優しく頷いている。
俺は彼女に笑顔を返しながら思った。
(やっぱ育ちが良いんだろうなぁ、自然に溢れ出る笑顔が、清楚で控えめな感じで堪らなくいいなぁ)と思った瞬間、自分の心の奥の大事なものが、キュンと締め付けられる気がして生き苦しさを感じた。

その後、俺は何時もとは遅めの休憩に入った。食堂も昼のピークを過ぎていた事も有り、落ち着きを見せていた。昼のピーク時なら食券売り場も、注文受け渡し口も、押すな押すなの行列で、それを見ただけで胸が一杯になり、昼飯を食べるのを辞めて自販機の缶コーヒーで済ませた事も何度かあるくらいだが、今日は行けると思い。俺は食券売り場の自販機で、大好きなざるそばの食券を二枚買ってカウンターへ出した。
「おう、店長今から飯かい、今日は忙しそうだねぇ」
「まぁね、今日位は忙しくないと俺の首も飛んじまうよぉ」と冗談を言い合ってざるそばを出してくれたのは、社食の麺関係を担当しているまぁーちゃんだ。
まぁーちゃんはここでは古株で、俺なんかよりもずっと前から、この三恋の社員食堂で社員として働いている。
「ハイよぉ、おまちぃ~、ワサビ多目ね」と俺のこの味だけに限らず古株社員、パートから館内警備社員、設備関係者のこの味までキッチリと頭に入っていて、何時も感心させられる。「ありがとう、いただくよ」と返してテーブルに着き、つゆにワサビをたんまりといれ、薬味の刻みネギはそばに直接ちらし、それをさっさとたぐる。ワサビの香りとねぎの風味がそばの上手さを更に引き立てる。
俺の昼飯は何時もこれだ。何度食べても飽きが来ない。毎日明けても暮れてもそばしか食わないから、まぁーちゃんとも大の仲好になる筈である。
そんな俺を知ってる牧さんが、口癖の様に言うのが「店長、よく毎日毎日そばばっかり食べてられるねぇ、三恋中で噂になってるよ。社食のまぁーちゃんと中華屋の店長は出来てんじゃないかって、わたしゃ~情けないよ。そんな事だからイイ年して嫁も来ないんだよ――」と何度となく言われている。
ちなみに俺の年はまだ二十六になったばかりだ。自分ではまだ若いと思っている。
「あぁ~、やってるなぁ店長、相も変わらずおそばですかぁ、ホント好きだねぇ――」
「おう、小坂さん、今からお昼?そうなのよぉ、やっと抜けて来たわぁ……」
「おっ、それから今晩いくんだろう」と、ぐい飲みを飲み干す仕草をすると、ニンマリ笑って、ヤルヤルっと元気な返事が帰って来た。
俺と小坂さんとは先にも言ったが、割りきった付き合いを始めて、かれこれ一年程になるが、殆ど彼女の方が誘って来る。
よくは知らないが、バツ一で子供が一人いるらしい。月に一度か二度、実家の両親に子供を預けに行く、両親も孫可愛さに、喜んで子守りを買って出てくれるという。
そして気が向いた時だけ、俺に声を掛けてくるようだ。俺も決まった相手が居る訳でもなく、年も近く話しも合う事から、特別な用事が無い限りは断る事はしない。
だからダラダラと言うか、都合よくと言うか、二人の関係は今も続いている。
そして・・・・・・
「お疲れさ~ン、ワァ~やっぱ仕事の後の生はたまんないなぁ」
「そうだよなぁ、牧さん駆け付けいったらどうだ」
「まぁ~店長ぉ、私を酔わせてどうするきよぉ……」
「…………」テーブルに一瞬ポカーンと、間があいた。
「もうみんなぁ、なにマジになってんのよぉ、もうやだぁ~」
「だよねぇ~牧さん。冗談の分からない男は嫌よねぇ……」と小坂さんは俺に言うが、俺は愛想笑いを浮かべながら(そう言ってる自分の目が一番泳いでいるよ)と小坂さんに言ってやりたかったが、本人も判っているらしく、ぎこちなく震える笑い顔を、必死で取り繕おうとしている。とんだ冗談か本音か判らない言葉で始まった今夜の打ち上げは、この後とんでもない事になって行った。
俺と女三人がワイワイと囲むテーブルに、何処かで聞いた事のある男の声で「おぉ~、やってるなぁ、俺も仲間に入れてくれよ」と声を掛け、俺達の飲んでいるテーブルに入り込んで来た。その男とは、社食のまぁーちゃんだった。
「なに? まぁーちゃんじゃない。なにやってんのぉ、こんな処で?」
「おぉ、牧さんじゃねぇかぁ。いやさぁ、カウンターの奥でさぁ、一人淋しく大将のしけた面見ながら飲んでたらよぉ、そしたらよぉ、聞き覚えのある声がするなぁっと思って見たら、店長の姿が見えたから来てみたんだよ」
「なによぉ、まぁーちゃん、また一人で飲んでるのぉ? やだぁ~――」
「おっと、そちらにいらっしゃるべっぴんさんは、小坂ちゃんじゃねぇかぁ、乗ってるねぇ、でもよぉ、または余分だろう、またはぁ、でも許すけどねぇ~、可愛いからぁ~、小坂ちゃんピィ~ス!」とVサインをおくるまぁーちゃんは、かなり酔っている様だったが、楽しい酒なので皆は躊躇なく受け入れ、酒はどんどん進んで行った。
「大将! 冷酒を一つと生レモンサワー二つに、生中二つ!」ドンドン酒は進む、俺はこの進みようを見て、みんな飲べいだなぁと思い、思わず笑いがこぼれた。
その後は、どれくらい飲んだのか判らないが、途中で俺は飲み過ぎて意識を失くしてしまったらしい。
「あれっ、ここは何処?あいタタタッ、なにしてんだ、俺は……」
「あ、店長目が覚めたぁ?」と言う声で目を開けると、直ぐ目の前に彼女の顔がある。
「うわぁ、びっくりしたぁ――」
俺は慌てて飛び起きる。どうやら彼女の膝枕で眠っていたらしい。辺りを見渡すとどうやら居酒屋の近所にある公園のベンチの上らしいのだが、何故? 沢山のクエッションマークが頭の中を踊っている。
「俺、どうしちゃったのかなぁ……」「覚えてないんですかぁ、酷かったんでうよぉ」「え、まさかぁ俺、やっちゃった?沖田さんと……」
「え、酷いぃ、覚えてないんですか……、って言うのは嘘です。何も有りませんから、ご心配なく――」といわれて、ベンチの上で向かい合っている状況では流石にここでエッチはしてないなぁ、と確信してホッとすると、そんな俺の顔を見た彼女は、満面の笑顔で微笑んだ。
「あれ、ところでみんなは?牧さんと小坂さん、それからまぁーちゃんも居たよねぇ……」
「牧さんは一人でベロベロで帰りました。まぁーちゃんと小坂さんは、寝ている店長に声を掛けて起こそうとしてたけど、鼾をかいて起きない店長を見て、二人で何処かへ行っちゃいました。でっ、残った私達は居酒屋恋模様を追い出され、公園のベンチで寝てったって訳です――」
「あ、支払は?」
「まぁーちゃんって人が全部払ってくれました」「あちゃ~やっちゃった~なぁ、まぁーちゃんに悪い事したな、明日謝らなきゃ――」
「店長、明日って、もう今日ですよ。ほら――、みんな出勤してますよ――」
「え、今何時?」「七時過ぎです――」
「やば~いっ、いかなきゃ、急いで行こうよ!」
「え、今日私は……、お休みですよ――」
「あちゃ~、そうだ、俺と牧さんだけだ――」
「こうしちゃいられねぇや、とにかく一緒に居てくれてありがとう。この埋め合わせは必ずするから、ゴメン、有り難う――」とお礼をいって公園をダッシュで駆け出した。
    *
「ざるそば二枚くんねぇかい」
「いっらっ、おう、店長かぁ、生きてるかい……」
「昨日は悪かったねぇまぁーちゃん、迷惑かけちまって……」
「イイって事よぉ、俺も結構楽しませてもらったしよぉ、気にすんなよ―― また行こうぜぇ」
「それはイイんだけどさぁ、まぁーちゃん、ちょっと――」
「なんだい? うん?」
布巾で濡れた手を拭きながら、まぁーちゃんは窓口から上半身を乗り出し、耳を寄せた。
俺はポケットからクシャクシャの万券を二枚握りしめて、まぁーちゃんの白衣のポケットに押し込んだ。
「ウン? オイ、何すんだよぉ、気にすんなって言ってんだろうよぉ――」
「いやぁ、これはこれだからさぁ、たんなかったらゴメンなっ、今、これきゃないんだ――」「フン、十分だよ。金じゃねぇだろう……」
まぁーちゃんはポケットに目をやる事も無く、ニンマリと笑って返して来た。
俺が毎日そばを食う意味がここにある。
馬鹿で、女誑しの俺だけど、男同士のこんな付き合いだけは、一番大切にしようと決めている。
そんな俺だが、女にしてみればタダのスケベ野郎で、誘えばホイホイついて来て飲み代だけ払わせるのには都合の良い男、気遣い無用で好き勝手させてくれて文句のつけようのない鈍感な奴なんだろうと思う。
男より女の方が遥かに多く働くこの三恋百貨店で、俺の横を多くの女達が都合よくすりぬけていく。だがそれに気付かない俺であった。

「ねぇねぇ店長ぉ、今晩飲みに連れてってぇ、いいでしょう。勿論……アリよぉ、ネェ――」
「おいおい、いつも刺激が強いんだよねぇ、誘い方が、小山ちゃんは……」この子は何時も、その気も無いのに、からかい半分、飲みたさ半分で声を掛けて来る。最初は俺も鼻息荒くして飲みに連れてったが、上手くかわされて、帰る時は一人淋しくタクシーに乗った事が何度もあった。
最近じゃそれもよしと思い、ワザと騙されてついて行く。
「店長、また小山ちゃんの誘いに乗って馬鹿だねぇ。モノに出来る訳ないじゃない」
「いいんだよ。そんなの判って乗ってるんだからさぁ、それにあのスレンダーなスタイル、たまんねぇな――」
「ダメだこりゃ、壊れてるは……」
「牧さん、今に始まった事じゃないんでしょう。イイじゃないですかぁ――」
「沖田さん、アンタさぁ、店長の彼女になってやってよぉ、そうすりゃ少しはおちつくんじゃないかなぁ、って周りの店のスタッフ一同、みんな言ってんだけどねぇ、勿論、私もそう思うのよねぇ……」
彼女は動きを一瞬止めて一人語との様に呟いた。
「タイプなんだけどなぁ、私の……」
あまりにも大胆で、本気か嘘か判らない強い押しに、俺はビビってしまい、頬を赤らめ俯いたまま呟いた。
「冗談はよせやい、本気にするぜぇ……」
「さぁ、冗談はその辺にして、ぼちぼちカタしていこうかぁ、ねぇ、店長ぉ、恋模様でいいよね!」
「エッ?」
「…………」
俺は思わず沖田さんの顔を見て、牧さんに視線を移すと牧さんは既に片付けを始めていた。(おいおい牧さん、なんてことしてくれるんだよ、今の沖田さんの言葉は……、本気だったかもしれないのに――)
俺のテンションは、牧さんのお陰でダダ下がりで、シンクに溜まった沢山の洗い物を前に凍りついてしまった。
俺はどうにか油まみれの洗い物を洗い終わり、居酒屋恋模様へと足を向けた。
「おつかれさ~ん、小山ちゃん、今日は飲もうぜぇ、そして……」
「まぁまぁ焦らないでぇ~、今日は逃げたりしないから、ねぇ!」俺はもうこの時点でイッパイイッパイまで、テンションは上がり、頭の中の回線が焼けキレそうになっていた。
「大将、えだまめとぉ、小山ちゃん何にする?」
「そうねぇ~、まぐろやま掛けと、もずく酢貰おうかなぁ」
「いいねぇ、まぐろももずくも、性が付くよぉ……、ケッケケケ――」
「店長、やらしいぃ……、もうダメよ―― 」
「ハイ……」
俺達二人は夜が更けるのと同じようにドッブリと酒に漬かっていた。小山ちゃんもスッカリ酔いがまわり、気分も最高潮の様に見えたのだが……
「店長、飲んでるぅ――」
「飲んでるよぉ、今日は最高だよ、小山ちゃんみたいな美人と飲めてさぁ」
「本当? 誰にでも同じ事言ってるんじゃないでしょうねぇ」
「…………」
「ほ~らぁ、図星でしょう、もういやぁ!店長ったら……」
「そそそっ、そんな事無いよぉ俺は……」
俺は図星を当てられ焦りながら答えた。
「じゃ私の大事なお話聞いてくれる……」と言った瞬間、小山ちゃんの顔が、一気にブルーな表情になったのが目に入って来た。
その顔の暗さは俺の酔いを一気に冷してしまう程だった。
「どうしたのぉ、小山ちゃん、急に……」
「うん――、実はねぇ、失恋しちゃったの私――、振られたの……」
「ハッ――、誰に?」
「誰にも言わない?」
「アア言わないよ!」
「絶対に?」
「絶対に言わないよ! で、誰? 俺の知ってる人?」
「…………」
「黙ってちゃ判んないじゃん――」
「あのねぇ、まぁーちゃんなの……」
「…………」
あまりの予期せぬ話に俺の体は一瞬にして固まった。
「ねぇ、なんとか言ってよ…………」
「お、おぉ、いつ頃から付き合ってたんだよ」
「一年前くらい――」
「それじゃ、付き合ってる途中に俺、何度か、小山ちゃん誘って飲みに行っちゃてるじゃんかぁ」
「うん、でもね、まぁーちゃんは店長ならOKだよって言うんだよ。でねぇ、エッチしてもイイのって聞いたら……」
「聞いたら? まぁーちゃん何て言ったんだよ?」
「いいよって……」
俺は酔いが冷めたのと同時に、小山ちゃんへの想いも一瞬して冷めた。
そして一つ、まさかとは思うが、考えたくもない別れの理由が、頭に浮かんできた。
「あのさぁ、一つ聞いてもいい?」
「いいわよ、なに?」
「別れた理由ってさぁ、まぁーちゃんに新しい彼女が出来たからじゃない? 」
「そうなのよ、何で判ったのぉ?」
「あのさぁ、そのぉ~、まぁーちゃんの相手ってさぁ、もしかして小坂さんじゃない? 」
「何で知ってるのよぉ……」
「あちゃ~、やっちゃったかぁ……」俺は直ぐにピンときた感が当たった。
俺が酔い潰れた夜だなぁと、小坂さんはあの夜、その気だったにもかかわらず、俺は酒に潰れてアウトだったが、隣にいたまぁーちゃんはギラギラしながら小坂さんを狙ってたもんなぁ、小坂さん久しぶりの夜だったから、我慢できずにまぁーちゃんとやっちゃったんだ。ガッカリときた俺は、小山ちゃんと飲んでると、なんだかまぁーちゃんの顔がちらついて、どんどん複雑な想いが押し寄せて来る。とても小山ちゃんとこの後……、なんて考えられず、一緒に飲んでいる事すら苦痛に感じ席を立ち、勘定を済まして恋模様を一人、あとにした。
その後、小山ちゃんがどうしたのかは分からない。
「おはよう、店長、どうだった? 昨日は……」
「…………」
「やっぱり駄目だったんだぁ――」
「何で判るんだよ……」
「判るわよ、何年店長の恋模様を見て来てると思ってんのよ――、少しの間、大人しくしたらぁ――」こんな時、俺は牧さんの有難味をしみじみと感じる。牧さんは俺の気持ちを一番分かっていてくれる人かもしれない。
俺は当分の間、恋を封印しようと決めた矢先に――
「おはようございます。店長!」
「あ、おはよう沖田さん……」
(そうだ、俺にはまだ沖田さんがいた)
新しい恋の始まりだった。街の景色は夏が背を向け去ってゆき、三恋百貨店では秋のオータムフェアーが始まろうとしていた。

「いらっしゃいませ! おはようございます大国さん!」
「おはようございます。今日も日替わり弁当をお願いします――」
「毎度ありがとうございます。今日は御幾ついられますか?」
「十五個お願いします」
「何時も有難うございます。でも大国さん毎日大変ですねぇ、他の方はいらっしゃらないのですか?」
「いやぁ、僕、一番暇なんで、しょうがないんです……、沖田さんも毎日大変でしょう、こんなに沢山のお弁当や御惣菜を売りさばなくてはならなくて……」
「いえぇ、これで結構楽しいんですよ」
「はい、大国さんお弁当出来上がりましたよ。あったかいうちに食べてくださいね」
「沖田さん、最近あの人よく来るね――」
「そうですねぇ――」
「ありゃ~、沖田さんにほの字だなぁ……、わかるんだぁ私、似たような男知ってるから……」と言うと、牧さんは俺の方を見て、意味深な深い溜息を吐いた。
沖田さんも俺の顔を見ながら、作り笑いを浮かべて、納得する様に何度か頷いた。
表のやり取りが何の事だかサッパリ判らないまま、俺は作っても作っても、欠品してしまう鳥の竜田揚げ弁当作りに一人追われていた。
そして、あっと言う間に秋のオータムフェアーも終わり、御歳暮。クリスマス、年末年始と続く、今年最後で最大の商戦を前に、一息着く俺達であった。
「かんぱ~い、お疲れさ~ン。美味い!」
「もう、店長は何時も大袈裟なんだから――」
「でも本当に美味しいですね、仕事の後の生ビール!」
「沖田さんもスッカリ、ウチの店に馴染んで、飲むのが病み付きになったみたいだね――」
「そんなぁ、牧さん……」
「まぁ、イイじゃないかぁ、これぞ至福の時、なんだからさぁ――」
「そうそう、わたしゃ、この一瞬の為に働いているようなもんなんだぁ、ねぇ店長――」
「ウン、意義なし!」
「フッ――まぁ~イイっか、意義なし!」
俺達は今夜も、居酒屋恋模様で酒にとっぷりと漬かった。
「そろそろ帰ろうかぁ、牧さん? 大丈夫かい、飲み過ぎだぞぉ――」
「何時もはこんなに酔わないのにねぇ……」
「よっぽど気分良かったんだろうよ。ここん処ずっと忙しかったからなぁ……」
「大丈夫ですか牧さん……」
「いいよ、俺送ってくからよ――」
「私も付き合います――」
結局俺達二人は、酔い潰れた牧さんを家まで送り届けたが、帰り道二人並んで歩いていると、すっかり酔いも醒め、飲みたらない気分になっていた。
そこへ雨がパラパラと降り始めた。俺は今朝の天気予報をみて雨が降る事を知り、予め傘を持って来ていた。少し大きめのバーバーリーの蝙蝠傘で、俺のお気に入りだった。二人で一本の傘に肩を寄せ合い入ると、十分に雨をしのげた。
(こうして何人の女とこの傘の下で一緒に肩を寄せ合ったかなぁ……)俺は蝙蝠傘の下、沖田さんと肩を寄せて歩きながら話しかけた。
「なんだか酔いもスッカリ醒めちまったなぁ……」
「フッ、そうですね――、夜風は冷たいし、雨も降ってきたし……、もう一件いきますか?」
「いいね、行こうかぁ……」
俺達二人は駅前のよく行く立ち飲みバー、ラバーズへ入った。
彼女はハイボールを頼み、俺はラフロイグのロックを注文した。
「なんか凄い匂いしますね、そのお酒……」
「ウン、これねぇ、スコットランドのアイレイ地方の海の近くで作ってる酒でね、独特の香りがするんだ。でも俺はそこが好きでねぇ……」
「へぇ~、一口飲ませて下さい――」
「あ、いいよぉ……」
「…………」
「どう、臭くて飲めないだろう。なかなか女の口には合わない酒だろ? 」
「ウウ~ン、美味しい。私もこれにする――」と言うと沖田さんはハイボール一息に飲み干し、ラフロイグのロックを注文した。
「処で今更何だけどさぁ、沖田さんってさぁ、下の名前何って言ったっけ?」
「エッ、――知らないの……、マジ、だって履歴書にも書いてあったでしょう。なによぉ、……」
「いやぁ、ゴメンゴメン、また酔いが醒めちゃうね……」
「祥子、祥子です――」
「あ、祥子ね! オッケー」俺はラフロイグをイッキに飲み干しおかわりを注文すると、祥子も一気にグラスを開けて、おかわりを注文した。二人は言葉は交わさず、目で語り合いながら、ラフロイグを楽しんだ。
祥子の眼もとがさっきまでと違い、うっとりと、何時もに無い色気を漂わせた頃、俺はラフロイグに酔ったのか、祥子の色気に酔ったのかは判らないが、俺の手は祥子の肩を抱いていた。
祥子も拒む事も無く、自然に俺に身を預けている。やがて俺達はラバーズを出ると傘を差し、俺は彼女の肩を抱いたままで雨の中、近くのシティーホテルにチェックインし、部屋のベッドに辿り着いた時には、すでに融けだしている互の体を貪り合っていた。
気が付くと、祥子が寝る前にセットしたアラーム音が部屋中に鳴り響いていた。
俺は隣で寝ている祥子の寝顔を横目に、アラームを止めてバスルームへと向かった。
「あ、おはよう……」
「あ、おはようございます……」
俺はサッサと服を着て、シーツを体に巻き付けベッドの上に横たわる、祥子の横に腰を下ろして抱きよせながら、優しくキッスをして「俺、先に行って中華作りながら、開店準備してるから、後から来なよ――」と少し照れながら言った後立ちあがりウインクすると、彼女は優しい微笑みを返しながら「後で行くね――」と言いながらウインクを返した。
俺はこんな幸せな時間にずっと留まる事が出来たなら、最高に幸せだろうなぁ、と思いながら昨日の雨に濡れ、まだ少し湿ったカジュアルジャケットを片手に急いで部屋を出た。

     *

「牧さん・・・・・・」
「どうしたの?沖田さん……深刻な顔して……」
「いやぁ、気のせいかも知れないんだけどねぇ、ここへ来て帰る時、必ず誰かが後を着けて来るような気がして……」
「気のせいじゃないのぉ、まぁでも沖田さんは美人だからねぇ、沖田さんの知らない処で誰かがさぁ、沖田さんの事を好きで、好きで堪らなくなちゃってさぁ、沖田さんの後ろを、ウロウロウロウロしてんじゃないのかなぁ――にくいねぇ、このぉ~――」
「やだぁ、それじゃストーカーじゃないですかぁ……」
「おいおい、なに井戸端会議してんだよ。開店前なんだからよォ、気合入れていけよ。それから牧さん、俺、午後二時から年始のお節料理の打ち合わせで店抜けるからさぁ、宜しく頼むよ。沖田さんも頼んだよ――」俺は店の中では今でも名字で祥子の事を呼んでいる。
一応はメリハリをつけると言う事と、牧さんを始めとする、他のプロパーの売り子さん達に知れて、お互に仕事がしずらくなってはいけないと思っての事だ。
「いらっしゃいませ――」
「あら、大国さん毎度どうも。何時も有難うございます」
「いえいえ、みんなここのお弁当にハマっちゃてるみたいで……」
「有り難うございます。今日は御幾ついられますかぁ」
「20個お願いします」
「え、お一人じゃ持てませんよ。ちょっと待って下さいね。店長!」
「え、何?あ、大国さん何時も有難うございます――」
「店長、今日は20個も注文頂いたんだけど、お一人で来られてるから、とても持てないから私、会社まで一緒に持って行ってあげようかと思ってさぁ……」
「近いの?」
「うん、直ぐそこ大通りを挟んだビルだから直ぐよ――」
「そうかぁ、でも牧さん休憩時間に佐藤さんと約束してんじゃないの……」
「あ、そうだ今日は佐藤さんが弁当作って来たから一緒に食べようって言われてたんだ……」
「あ、いいですよ、一人で何とかしますから……」
「じゃ店長、私が行ってきます。大国さん一人じゃ無理ですよ――」と言う事で祥子がいく事になった。
「沖田さん、どうもすみません。誰か一緒に来てもらえばよかった――」
「いえいえ、大丈夫ですよ。でも大国さんも大変ですねぇ、何時も一人で買出しに行かされて……」
「いえ、僕は他のスッタフに比べて仕事も少なめで、ロクな仕事をしてないんでしょうがないんです――、あっ、着きました。此処なんで――、有り難うございます」
「あ、ここですかぁ、凄いビルですね。どんな関係の会社なんですかぁ……」
「アイティー関係です。スタッフ総勢20人の小さな会社です――」
「そうですかぁ、あ、これ何時もお世話になってるんで店長から……」
俺は毎日態々買いによってくれる大国さんに、サービスで大学芋のパック詰めを祥子にことずけた。
「おお、イ~ィネェ!」というと、大阪ジャンケンのチョキを顎の下に構えて、ニッコリと笑ってアリガトウと言って見せたのだった。
祥子は、そんな何時もと、ちょっと様子の違う大国さんを見て、どんなふうに返せばいいのか分からず、思わず引いてしまったのだった。
「あ、お疲れ! 早かったねぇ。牧さんも喜座衛門へ行ったから、祥子も暇な中に行って来たら……」
「その後、俺行くからよ!」
「ウン、判った。じゃ先に入って来るね」と祥子は特に何を話す訳でもなく、喜座衛門へと向かい店を後にした。
「店長、今日終ったら飲みに行かない。私、今日グッと飲みたい気分なのよねぇ……」
「今日かぁ、今日はねぇ仕事終わった後、お節の企画詰めないといけないからさぁ、行けそうにないわァ、ごめんね。次は付き合わせて貰うから……」
最近俺は二回に一回は誘いを断る様にしている。それは祥子に申し訳ないと言う気持ちがして、今迄のように直ぐに誘いに乗って、一夜のアバンチュールを楽しむのは辞めているのだが、そのぶん祥子との時間は増え、祥子の家が錦糸町にある事から、錦糸町界隈で飲むことが増えた。
勿論、人目を避ける為でもあったが、飲んだ後、そのまま祥子の家に泊り、やる事やって次の日の朝、仕事へ一緒に出掛けたり、祥子が店を休みの時は、見送られたりする事が新鮮で、まるで新婚生活の様で、とても心地よかったからだ。
「じゃぁ、いってくるよ……」
「いってらっしゃい。今夜はどうする……、来る……、来るなら晩御飯用意しとくけど……」
「勿論!」
俺は殆ど祥子の出勤日以外は祥子の家に入り浸った。
「ネェ、浩ちゃん、今日、浩ちゃんの部屋へ行きたいなぁ、何時も家ばかりじゃなくて、浩ちゃんの部屋へも行ってみたい――」
「オォ、また今度な……、俺の部屋久しく帰ってないし、おもいっきり散らかってるから、とても祥子を呼べる状況じゃないからよぉ――」
「――大丈夫、私が掃除してあげるから……」
「――また今度な……」
「…………」
何故か不必要に俺は拒んでしまった。
すると一瞬祥子の顔色が変わったのが俺の目に入った。しかし吐いてしまった言葉は帰って来る筈もなく、二人の間に重苦しい空気が漂った。祥子はそれ以来、俺の部屋の話はしなくなった。
俺は何故か祥子を家へ入れる事に抵抗を感じていた事をこの時初めて自覚した。
その後は、二人の話しが家の話しになりそうになると、俺自身が必ず話しの先を読んで展開を変えた。これには祥子自身も気が付いていたが、それをどうこうは言わず、出来るだけ自然に話し続けるのだった。二人の間をそんな何かが遠くしていても、二人の仲はどうにか上手く行っていた。

「ねぇ、店長、今日仕事終わりに一杯飲みに行かない……」
「え、どうしたの……」
久しぶりに小坂さんが誘ってきた。祥子と付き合いだしてからの俺は、男の付き合い以外、一対一の場合は必ず、適当な理由を付けて断るのだが、今日の小坂さんの表情はそうさせてくれず、結局強引にOKさせられる羽目になった。
今日は運悪く祥子も出勤して来ている。どう話すべきか迷っているうちに、時間が過ぎていった。
「お疲れちゃ~ン店長、沖田さん。御先で~ス」牧さんがこんな時に限って、先に帰ってしまった。俺は祥子の出方を伺いながら最後の集計をしていた。
「今日はどうする? 明日は私お休みだけど来る?ウチ――」
「オオゥ、どうしようかなぁ……、今日はやめとくよ、ちょっと具合が悪いから、帰って寝る!」
「エッ――、大丈夫……、風邪でも引いたの?」
「いや、大した事は無いと思う。最近休みも無いし、疲れてるだけだと思うから……」
「そう――」
「ゴメンなぁ……」
「何で謝るの――、気にする事じゃないよ……」
「…………」
最後自分の言った言葉が、祥子に余計な感情を抱かせはしなかったかと、心配になったがどうする事も出来ず、ただただ罪悪感ばかりが募っていった。
俺は一人街中を歩きながら、浮かない気持ちで、晩秋の冷たい風を頬で受け流し、居酒屋恋模様の暖簾を潜った。
「いらっしゃい! あ、徳田さん御連れさんこちらで待ってますよ――」
「あ、どうも……」
「お疲れ、店長……」
「オゥ、お疲れさん――」
「大将、生中ちょうだい」
「ハイよ、カウンターさん生中一丁! 」
「ハイよ、有り難うございます」
恋模様は今日も何時も同様に賑っていた。憂鬱な俺の気持ちは少し紛れて、気持よく生ビールが喉を潤した。
「あ~美味い!」
「…………」
「どうしたの?小坂さん……」
「…………」
「黙ってちゃ判らないよ。何があったの、話してごらんよ――」
小坂さんの顔は今まで見た事の無い位思いつめ、沈んでいた。
「うん……、私まぁーちゃんと別れたの……」
「ウン――、何で?」
「うん……、まぁーちゃんにさぁ、結婚申し込まれちゃって……」
「エッ――、そうかぁ……」
「そりゃ私だって人並みに嬉しいわよ。でもホラ、私には子供もいるし、子供の事を考えると、なかなか踏み切れなくて……、そりゃまぁーちゃんの事は今でも大好きよ、優しいし……」
「ふ~ん、難しいねぇ――、で、別れたって事かぁ――」
「うん……」
「まぁーちゃんはどうしてるの?」
「さぁ……」
「そうかぁ――、とりあえず店を変えようかぁ、人目も有るし……」
俺はまさかこんな話だとは思わず、恋模様で待ち合わせをしたが、ここは三恋百貨店の人間が多く出入りする店、知り合いに見られてあらぬ噂をたてられ、まぁーちゃんとの間が気まずくなるのを恐れたからだ。
俺は会計を済ませ店の外へ出た。外は秋風が舞い、地面に落ちている枯れ葉を走らせていた。
「何処行こうかぁ、腹も減ったしなぁ、酒も飲みたいし――」
「一休行かない? あそこなら知り合いもいないし、顔がさす事も無いよ――」
小坂さんは恋模様を出た理由に気が付いていたようだ。ちなみに一休という店は、俺と小坂さんが初めて飲みに行った時に使った店で、駅前から少し離れた処に有り、店自体もこじんまりとして落ち着いた感じの店だ。
そして一休の暖簾をくぐった。俺は外の寒さで体が冷え切ってしまった事もあり、熱燗を頼んだ。
すると小坂さんも熱燗を飲むといい、久しぶりに二人は差しつ差されつ、しながら時間を過ごした。だが俺はあえて、さっきまでの話しを話題にはしなかった。
「久しぶりだねぇ、こうして店長と飲むのも……」
「そうだね……」
時間もそこそこに過ぎ、店を出る頃には十一時を回っていた。外はすっかりと冷え込んで、両手をポケットに入れたくなる程であった。するとスッーと、俺の腕に寄り添う様にして小坂さんは体を預けて来た。その時、俺は一瞬誰かの視線を感じて、ドッキっとして思わず辺りを見回した。辺りは静まり返り、人影どころか猫の子一匹見当たらなかった。
「……あれぇ?」

     *
小坂さんはぐったりとした様子で俺の腕に凭れかかり、胸のふくらみとやわらかさを伝えて来た。俺は体中に流れる男の血が沸騰し始めた。
「ねぇ、今日は店長の家へ行きたいなぁ、ネッ! イイでしょう――」俺の腕を更に引き寄せ、俺の首筋にざらつく舌をゆっくりと這わせた。
「いいよ、じゃ車拾うよ」
「…………」
実は小坂さんは、前にも二度ほど家に来た事があった。その時は二度ともベロベロになっていた為、自分の部屋へ女を入れる抵抗もまるで感じる事無く、招き入れる事が出来たのだった。
そして今回の場合は、男の熱い血の滾りが、何ものも寄せ付けない勢いで、完全に俺を男と言うより、一匹の雄へと変身させていた。
部屋に入るなり、俺達は舌を絡ませながら一枚一枚服を脱ぎ捨て、俺の両手が久しぶりに触れる体を、ゆっくりと確かめるように、撫ぜ回していった。
やがて互いの荒い息づかいが、部屋中に響き渡った頃、小坂さんは仰向けになった俺の体に跨ると、今にも蕩けそうな体を激しく揺さぶり、喘ぎながら何かを確かめるように、俺の体の上でオルガズムに達した。
次の日の朝俺は、小坂さんに部屋の鍵を預けると、俺は一足先に仕事へと向かった。
「おはよう店長、昨日は小坂さんと飲んでたらしいじゃない。二人っきりで……」
「何んの事だよ、知らないよ――」
「ダメだよ。ネタは上がってんだからね。丁度店長と入れ違いで私達、恋模様へ行ったら、大将が店長と小坂さんが飲んでたけど、一杯ずつ飲むと二人で逃げるように帰ってったて……、熱いねぇ――」
「違うって、ちょっと相談に乗ってただけだよ。色々と有るみたいでね、彼女も……」
「まぁ~、ほどほどにね――」
「だから違うって、あれこれ言うじゃねぇぞ、牧さんにも言えないような事なんだからよぉ、察してくれよ――」俺は真面目な面をして訴えたが、どう伝わったかは分からないが、牧さんの口から昨日の事が漏れる事は無かった。
ちなみに牧さんと一緒に恋模様へ来たのは祥子だったが、祥子もその事について問うて来る事は無かった。どうやら牧さんから祥子に、事情は説明されたんだと俺は思った。
あれから一週間が経ち、今年最後の全休日の前夜、俺は祥子と一緒に錦糸町の居酒屋で飲んだ後、祥子の家へ行き、久しぶりに祥子を抱いた。俺は祥子の乳房を揉みながら乳首を吸った。やがてベッドが軋み、二人の体は濡れ熔けた。
祥子を抱く前、俺の中にあの件で、少しばかりの気まずさが残っていたが、祥子を抱き始めると同時にスーッと消えていた。
二人は力尽きた後、特に何をはす事も無く、無言の時間が静かな夜を更に際立たせた。祥子は人形のように、俺の腕枕でじっと横たわり、窓から入って来る微かな月明かりを浴びながら、天井をじっと見つめていた。
「ねぇ、浩ちゃん、大事な話があるんだけど、聞いてくれる……」
俺はこないだの一件だと思い、なんだ? と低い声で訊ね、祥子に目を向けた。
「あのねぇ、……子供が出来たの――、私達の……」
「…………」
「二か月みたい。どうしようか……」俺は予期せぬ話に目の前が真っ白になり返す言葉を失った。そして今いる祥子とのこの時間が凍りつき始め、寒々しく感じられた。
「本当に俺の子供……」
「…………」
「ねぇ?」
「――当り前じゃない。私は、あなた以外の男性と、関係を持つような事は一切してません――」
俺はとんでもない失言をしてしまった。祥子の眼には、俺への想い、怒り、悲しみ、そして不安が入り混じり、小さく震えながら俺の顔を睨みつけている。俺はおどおどとしながら堪らず服を着ると、祥子の部屋を飛び出した。
祥子は、俺に言葉一つ掛けるでもなく出ていく俺の背中を見詰めていた。
外は冬の冷たい風が吹きまわり、ヒューヒューと音を立て、思い悩み俯く俺を真黒な闇の世界へと引きずり込んでいった。

正気に返ったのは、次の日の朝、目覚まし時計の音で目覚めてからの事だった。昨日の夜はどうやって帰り、何時眠りに就いたのかも覚えていなかった。窓を開けると外は雨が降っていた。
俺は準備を済まして仕事へと出掛けた。出がけにお気に入りの傘が無い事に気付いたが、何処に忘れて来たのか判らず、駅までの道のりをカバンで頭を覆い走った。
「おはよう店長、今日は顔色が悪いけどどうかしたの?」
「え、そうかぁ、昨日嫌な夢見ちゃったからかなぁ……」
「あんまり女遊びがお盛んだから、女達の怨念が夢の中まで追っかけて来たんだろう」
「勘弁してくれよ。そんな事あるわけないだろう……」
俺は昨夜の祥子から聞かされた話し、そしてその話を聞いて、逃げ出してしまった事を思い出した。自己嫌悪に陥りながらも、背中には、事実から目を背けようとする自分がいるのを自覚した。
「おはようございます――」
「あ、おはよう沖田さん、今日もよろしくネ――」
「おはようございます店長……」
「――あっ、おはよう……」
「あの、今日お仕事が終わった後でいいんで少し時間ありますか?」
「あ、あぁ、いいよ……」
祥子の眼は何処か遠くを見る様な眼で俺を見詰めていた。その視線に俺は耐えきれず、目を逸らし、朝の準備に入った。
一時になった処で、具合の悪そうな祥子を先に喜座衛門へ行かせ、牧さん、俺の順番で続く事にした。
「店長、今日ねぇ、仕事終わりにどぉ……」
珍しく小山ちゃんから、仕事終わりの一杯を誘われた。しかし祥子は喜座衛門へ行っていない事が判って居ながらも、背中に視線を感じ、祥子との約束が頭に浮かび断った。
「どうしたの? 珍しいわねぇ店長が夜の誘いを断るなんて、どうかしたの?」
「うん? いやぁ今日はさぁ、ちょっと仕事が終わった後、沖田さんに相談があるからって言われててねぇ、ちょっと不味いんだよ」
「あ、そう、何だろうね、珍しいね。デートの誘いだったりしてねぇ」
「そうかなぁ、照れるなぁ……」
俺は牧さんの勘繰りをいなす為に、とぼけてみせた。内心は今直ぐにこの場から、逃げ出したくて堪らなかった。やがて閉店の時間がやって来て、片付けを終えた俺に祥子が寄って来た。
「行こうか……」
「うん……」
「どうする? 恋模様にする?」
「ねぇ、浩ちゃんどうしたらいいの、私……」
「あっ、ああぁ……、下ろしてくれないか……」
「…………」
「今の俺には祥子と結婚して家族を養って行く自信が無くてさぁ……」
「なんで?」

次の日夜、仕事を終えた俺は休みだった祥子の家へ行き、三十万円の入った封筒を手渡し「すまん、これで始末してくれ――、これで足らなかったら言ってくれ、直ぐに用意するから――」と言い何度も謝り倒した。まるで二人の間柄は、自動車事故でも起こした運転手と、被害者の間柄のように思え、何でこんな事になってしまったのだろうか、これから俺達の関係はどうなっていくのだろうか、遣る瀬無い想いが押し寄せ言葉無く佇んだ。
祥子は何も言わずに、俺をじっと見つめたままだった。俺に対して言いたい事が山ほどある筈なのに、一言も口にせず黙って俺を見送った。
その後祥子は二週間体調不良の為、休すましてほしいと言う連絡があった。直ぐに俺は承諾し、お腹の子供の処理をしたのだと思い、俺は罪悪感を背負った自分と、ほっと安堵し胸を撫で下ろした自分がいる事に気付いた。
「あっ、こんにちはどうされたんですか、こんな処で……」
「あっ――、いぇ、今日はお休みなのでちょっとブラブラしていただけです……、今日は会社の方はお休みなんですか?」
「えぇ、まぁそんな処です……」
「そうでうかぁ……」
「あっ、もし宜しかったらご一緒させて下さい――」
「……いやぁちょっと用事があるので……」
「そうですかぁ……」
祥子は三恋百貨店と産婦人科との間を彷徨う様にグルグルと廻り続けていた。勿論、子供はまだ祥子のお腹の中に居た。
「店長~、今日は付き合ってよぉ、仕事終わりに……」
夕方の忙しい中、家の店の売台横に立ち、物欲しそうな笑顔を浮かべて、誘ってきたのは小山ちゃんだった。俺は少し煩わしくも思えたが、流石に二回続けて断る事も出来ず、しばし迷った。
(しかし、まぁーちゃんとはどうなったんだろうか、小坂さんとまぁーちゃんが別れたって事は、まぁーちゃんの事だから……)俺は半信半疑だったが、まぁナニをする訳でもないし、大丈夫だろうとおもった。
それに祥子との事でモヤモヤとした気持ちを振り払いたく、仕事終わりに何時もの居酒屋恋模様で待ち合わせた。
恋模様の暖簾をくぐろうとした時、フッと一瞬、祥子に似た女の姿が視界に入った。俺はこんな処に居る筈のない祥子の姿を追ったが、何処にも姿は無かった。
だが二十メートルほど離れた電柱の陰から明らかにこちらを見ている男の影が一つ目に入った。何処かで会った様な気がして一歩踏み出そうとすると、男は踵を返し人混みへと消えた。
俺は首を捻りながら考えたが、誰だか思い出す事は出来ないままに、恋模様の暖簾を潜った。
店内では小山ちゃんがカウンターの隅っこに座り、俺に手招きをした。俺は笑顔で答え隣の席に腰を下ろした。
俺は生ビールを頼み小山ちゃんとグラスを合わせた後、イッキに喉元へと流し込んだ。渇き切った喉を、生ビールが潤しすきっ腹に流れ込むと、フゥーっと一瞬意識が遠い何処かへ飛んで行きそうになった。
何度味わっても飽きる事の無い、至福の時に浸った。
「店長ぉ~遅い。もう私、待ちくたびれて酔っぱらっちゃった――」
「ゴメンゴメン、もっと早く来たかったんだけど、ほら、洗い物いっぱいで時間掛かっちゃってさぁ」
「あ、そう言えば店長の処の女の人、ここ二三日見かけないけどどうしたの?」
「…………」
「どうしたの?」
「あっ、ちょっと体調を崩したみたいでねぇ、少しの間お休みなんだ……」
「そう、大変だね。私が手伝ってあげようかぁ」
「いやぁ、大丈夫だよ。それに小山ちゃんに手伝って貰う訳にはいかないだろう」
「あ、そうかぁ、店長がどうしてもって言うなら、私、今のお店辞めて、店長の処のお店で働いちゃうけどなぁ……」
「ありがとう。気持だけ受け取っとくよ」
俺は小山ちゃんの頭の中は読めていた。それ故に俺は、冷や冷やしながら言葉を選び会話を続けた。
俺は大将にすすめられた新しく入荷した吟醸酒に口を付け、色々と自分の中に溜まっていた想いが、少しずつ薄れていく事に気付いていた。
「店長、この吟醸酒美味しいね。どうぞ……」
「あ、ありがとう……」
この時俺は、隣に座って酒を注いでくれる小山ちゃんの甘ったるい声と言葉に俺の男が反応していた。
「そろそろ出ようよぉ店長、もう大分酔っ払ってるよ……」
「お、そうだね、出ようか――」
俺はや大将から手渡された伝票を持ってレジへ行き、会計を済ませ暖簾を潜った。
その時、小山ちゃんの腕が俺の腕に絡み憑くようにして、豊満な胸の柔らかさを押し付けてきた、その小山ちゃんの、どろどろと渦を巻く女の性欲によって、俺の股間のセバスチャンが火を噴いた。
「アレ、あの人……、何処かで会った気がするなぁ、誰だっけ?」
「うん?」
小山ちゃんが指さす方に目を向けたが、パラパラ人が歩いていた為、誰の事を言ってるのか判らない。ただ見覚えのある大きな傘が目に入ったが、直ぐに人ごみに紛れ視界から消えていった。
「さぁ行こうよ、店長――、今日は最後まで付き合ってよ。逃がさないからねぇ」
「おっ、おぉー、判ったよぉ~」
そのまま俺達はタクシーに乗り、ラブホテルへ直行した。
俺は散々、小山ちゃんの体を貪り付いた後、散々に飲んだ酒も汗となって抜け、どっと押し寄せる疲れの中、俺は我に帰り、またしても祥子に対しての裏切り行為を後悔した。
翌朝から仕事の俺と小山ちゃんは、日が昇る前にホテルを出て別れた。
俺は睡眠不足が疲れと変り、重い体を引き摺る様にして家へと辿り着いた。
俺はヨタヨタとマンションの階段を上り、自分の部屋の入口に目をやった。すると、
「アレ――、確かあの傘は……、俺の失くした……、何でだぁ?」
俺は疲れて、意識のはっきりしないまま玄関の前に立ち、ドアノブに掛かっている、お気に入りだったバーバーリーの蝙蝠傘を見詰めるとハッとし、背中を冷たい一筋の汗がスーッと流れ、何か途轍もなく重いものが俺の体に覆い被さった。
ドアノブに失くしてしまった傘を掛けたのは祥子だった。昨夜見かけた見覚えのある傘を差していたのは祥子だったんだと確信した。
俺は祥子に家の場所を教えた事も無ければ、勿論連れて来た事も無い。何故?俺の顔は時間と共に血の気が引いていき、真青に青ざめていった。
(まさか俺と合わない日は毎日、俺の後を付けていたのかぁ、全てバレてますよとでも言いたいのだろうか、そうだとしたら……、辛かっただろうに……、えっ、待てよ――、子供は……、まさか……)
「俺は――、最低だなぁ……」
それから祥子には連絡が付かず、勿論店にも出勤して来なかった。何度か錦糸町の自宅まで訪ねたが、人の気配も無く鍵が掛かったままだった。電話を掛けても呼び出しコールが止む事は無かった。

      *

「ナニする気ですか? こんな処で……」
「エッ、あなたは……」
「ずっと貴方を見てました。雨の日も、風の日も、そして悲しくて堪らず、涙が止まらない時も……、ずっと貴方を……」
「…………」
「僕にはそれしか出来なかったから……、でも、それだけは見過ごす訳にはいかないよぉ……」
「でも、もう私こうするしか……」
「お腹の子も一緒に連れて逝くつもりですか……、駄目だよ、そんなの……、こんな時になんだけど、僕と結婚して下さい。あなたの悲しみも苦しみも、そしてお腹の子供も……、もう二度と産婦人科の廻りを彷徨う様なまねはさせないから……」
男は女の肩を抱き寄せると、朝霧の漂う陸橋を渡りトボトボと歩き消えていった。

「店長、昨日さぁ、私、そごうの前で沖田さんに似た人を見かけたんだよねぇ……」

「ねぇ貴方ぁ、もう買い忘れた物ないかしら、今日のバーゲンは子供服がイッパイだったから買い過ぎちゃったけど、でもまだ心配で……」
「そんなに心配なら店ごと買っちゃおうかぁ、訳ないぞぉ――」
「大きく出ましたねぇ、そんな事言っちゃっていいのかなぁ――」
「当り前だろう、俺を誰だと思ってるんだよ。泣く子も黙るライブヘアーの社長だよ――、イィ~ネッ!」
その男は大阪じゃんけんのチョッキでブイサインをした。
そして夕星が輝き始めた街中を、幸せそうな二人を乗せたアルファーロメオが薄らと残る夕日を背に走り去っていった。
                       


  1. 2017/02/24(金) 15:48:47|
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